終わらない日常の片隅で

 隣からご機嫌なメロディの鼻歌が聞こえて、ヒバリは思わず笑った。
 平日の昼間のショッピングモールは、人があまりいないおかげで行きたいところに行けて、少し時間をかけて悩んでもよくて、会計のレジも待たずに済む。その分店員に話しかけられる頻度も増えるけど、今日はひとりじゃないせいか、「何かあったら声をかけてくださいね」程度で済んでいる。

「ツグちゃん、次どうする?」
「ん~……いっかい便所いきたい!」
「分かった。じゃあ待ってるね」
「えーヒバリ行かねえの?」
「ひとりで行けるでしょ。ほら、いってらっしゃい」
「はーい……」

 心なしかしょんぼりしている背中を見送って、またひとつ笑みがこぼれ落ちる。ミツルは仕事があって、トキは鮫島プロデューサーのところ。そのため、最近はよくツグミと行動することが増えてきた気がする。
 すぐ帰ってくるだろうし、近くの店でも見ていよう。そう思ってあたりを見渡して、真っ先に視界に入ったテナントに、どこかで見たような人影が見えた気がした。それがどこの誰なのか、ヒバリはすぐに考えることをやめようとする。

「お待たせーって何見てんの?」
「えっ」
「あー! あれって……!」
「ちょ、ツグちゃん!」

 やめようとは、したのに。
 いつの間に戻ってきていたのか、隣に立ったツグミがヒバリの視線の先を追って駆け出すのと、ヒバリが引き留めようとするのとでは、前者のほうがあきらかに早かった。
 たぶん、向こうにとっても最悪の展開だろう。少しだけかわいそうに思えるくらいに。

「シーオーン!」
「っ! な、……っ、え、」
「やっぱりシオンだ! ヒバリー、シオンがいる!」
「知ってるよ、もう……急に走り出さないでよねっ」
「だって知り合い見つけたら仕方なくね?」
「相手にもよるでしょ。なんでまた……」

 ちらりとシオンの顔を見れば、予想通り顔色は悪く、今すぐこの場から消えたいとでも言いたげだった。まあそれくらい、考えなくても分かるのだけれど。ツグミはそういうことをあまり気にしない。それが良いところでもあるけど、相手によってはとてもじゃないけど良いとはいえないんだろう。

「何見てんの? やっぱ鍵盤?」
「……なんでもいいだろ」
「声ちっさ」
「っるせ」
「ほら、ツグちゃん行こ。邪魔しちゃだめだって」
「えー、せっかく会ったのに? つーかひとり? 他のヤツいねーの?」
「他のやつって」
「シオンお待たせ……って、あれ」

 気配も足音も、ほとんどなかった。だけどよく通るその声は、一瞬で誰のものか分かる。

「ヒビキ!」
「おせーよ」
「ごめん。っていうかなんでツグミとヒバリと一緒にいるんだ?」
「おまえが遅いからだろ……!」
「ああそっか。ごめん」

 たぶん、全然悪いと思ってない。
 思わずため息をこぼせば、ふと視線を感じてそのもとをたどれば、ちらちらと店員の男性がこちらの様子を伺っていた。それもそうだ、ここはおしゃべりを気軽にできるようなカフェではなくて、あまり賑やかな店じゃない。

「じゃあ俺たちはこの辺で。行くよ、ツグちゃん」
「えぇー……」
「わがまま言わないの」
「……なあ、オレのど乾いた! カフェ行こ!」

 ぱあっとツグミが表情を輝かせたのを見て、ヒバリは咄嗟にシオンに視線を向けた。お互い考えていることは同じらしい。どうしてもこの展開を回避したい、その思いだけは一致しているようだ。

「俺、まだ楽器見るんで……」
「そうだよ、放っておいてあげたら?」
「いつでも見れんじゃん! オレらあんま会うことないしさぁ……あ、それならメッセ交換する?」
「ハァ? そんな軽々しく言ってんじゃねぇ! この陽キャ!」
「じゃあ行こーぜ、カフェ! ヒバリも気になるつってたじゃん! ヒビキもいいよな?」
「まあ俺はなんでもいいけど」

 ふたり分のため息が重なった。

 ツグミとカフェに来ることはたまにあった。練習が終わった後、仕事の前の少し空いた時間、なんでもない日。だからこそ、今日カフェを見かけた時もあとで時間があったら、なんて話をしたのだ。
 だけどそれはあくまでもツグミとふたりで、の話で他にミツルやトキ、飛倉がいるならまだ分かる。ルビレの誰か、なら相手にもよるけど考える余地はある。それ以外なんてヒバリは考えてもいなかった。先に注文を済ませるハウロのふたりの背中を見て、ため息をこぼしそうになったとき、ぐいっと服の裾を引っ張られた。

「ヒバリ、怒ってる?」
「ん? 怒ってないよ?」
「……」
「ほんとだってば」
「……よし決めた! 今日はオレが奢る」
「怒ってないって言ってるのに。でも、ありがと」

 ほっとしたような顔でツグミが笑って、「何にしようかなー」なんてのんきな顔でメニューが描かれたボードを見上げている。――まあ、たまにはこんな日があってもいいのかも。横顔を眺めながら、そんなことを考えた。

「お待たせ~!」

 先に席を取っておいてくれたふたりのもとに合流すれば、ヒビキはすでにストローに口をつけていて、対照にシオンは未だにこの状況を受け入れられず気まずそうにしているように見えた。今すぐ帰りたい、せめてひとりだけ別の席がいい、とか考えていそうだ。

「ふたりは今日オフ? シオン鍵盤変えんの?」
「いや、……ただ見てただけ」
「ヒバリはツグミの付き添い?」
「ん〜一緒に買い物してただけ、かな」
「仲良いよな、あんたら」
「まあなー! あ、もちろんトキやミツルとも仲いーけど!」

 思っていた以上に会話は途切れることがない。ツグミがいるから当然なのかもしれないけれど、案外ヒビキも話題をあれこれと繋ぐことがうまいように見えた。
 この状況をじっと観察しながら相槌を打って、ちらりとシオンに意識を向ける。最初こそあまり会話に参加していなかったはずなのに、ふたりの言葉にツッコミを入れたり呆れたり、なんだかんだ慣れてきたらしい。

「ハウロも休みの日にみんなでカフェに行ったりすんの?」

 ふとしたそんなツグミの問いかけに、「しない」「するわけねえ」とふたりの声が重なる。シオンに至っては顔色すら変わっている。
 まあ、聞かなくてもあの五人がカフェで茶をしばいているところなんて想像できるはずもない、はずなのだけれど。やはりツグミとしてはそうではなかったようだ。

「なんで!?」
「なんで、って……なんでだろう」
「俺に聞くな! つーか分かるだろ、トウヤさんは忙しいんだよ。俺らとこんな風にカフェでゆっくりする暇なんてあるわけねーだろ」
「居酒屋とか、飲みにも行かないの?」
「あー……」

 もしかして、聞いてはいけないことだったのかもしれない。
 ヒビキですら目をそらして、口を噤んでしまったところを見る感じ、過去に酒の場で”何か”あったのだとすぐに分かった。
 ぴんと糸が張り詰めたような空気が流れる。気づいているのかいないのか、ツグミがストローでドリンクをかき混ぜた時の音がやけにうるさく感じた。しかしすぐに何かを思いついたようなヒビキの「あっ」という声で、その空気はゆらめく。確かにあった緊張感が一瞬で解れたのが目に見えるようだった。

「俺と円藤はよくシオンの家で飲んでる。ソウゴの家に集まることもあるけど……五人揃うことはないな、そういえば」
「十分仲良しじゃん! ハウロ!」

 仲良し。その言葉にシオンが目を見開く。
 仲良し。その言葉をヒビキが繰り返す。
 仲良し? ここにいる二人と、残りの三人が?

「っふ、あはは、……っ」
「えっ、ヒバリ何笑ってんの?」
「いやなんか、なんでだろう……っ、ハウロが仲良しって、あはは」
「そんなに笑うところだった?」
「……変なやつ」
「ヒバリ、たまによくわかんないとこでツボるよなぁ」

 たぶん、いつもと違う一日だから。普段なら面白くないところで笑ってしまうのも、仲良くする予定のない人たちとカフェに来てしまったのも、全部。
 全部、少しだけ今日という日は日常から切り離された特別な日なんだろう。

2024年4月28日